神社(じんじゃ)とお寺(てら)の違(ちが)い・神道(しんとう)と仏教(ぶっきょう)の歴史(れきし)

仏教(ぶっきょう): Buddhism

English article is here; https://japaneselanguagesalonbymikapanda.com/the-difference-between-shrines-and-temples-the-history-of-them-2570

はじめに

皆(みな)さん、こんにちは! ミカです。

日本に行(い)ったことがある方(かた)にも、ない方にも質問(しつもん)です!

このイラストは、神社とお寺のどちらだと思(おも)いますか?

答(こた)えは、神社です! なぜなら、入(い)り口(ぐち)に鳥居(とりい)という門(もん)があるからなんですね。

このように、神社とお寺は一見(いっけん)似(に)ているようで、様々(さまざま)な違いがあるので簡単(かんたん)に見分(みわ)けることができます。

というわけで、今回(こんかい)は神社とお寺の違いについて学(まな)びましょう!

「神社」とは

基本(きほん)情報(じょうほう)

神社とは、日本の神々(かみがみ)を祀(まつ)る施設(しせつ)です。日本神話(しんわ)に登場(とうじょう)する神々やその地域(ちいき)の神様(かみさま)を祀るものなどがあります。

詳(くわ)しくは、

「神道とは?」①:https://japaneselanguagesalonbymikapanda.com/what-is-shinto-1-97

「神道とは?」②:https://japaneselanguagesalonbymikapanda.com/what-is-shinto-vol-2-111

「神道とは?」③:https://japaneselanguagesalonbymikapanda.com/what-is-shinto-vol-3-137

「神道とは?」④:https://japaneselanguagesalonbymikapanda.com/what-is-shinto-vol-4-152

「神道とは?」⑤:https://japaneselanguagesalonbymikapanda.com/what-is-shinto-vol-5-161

をご覧(らん)ください。

仕(つか)えている人(ひと)

神社には、「神主(かんぬし)」と「巫女(みこ)」がいます。神主は神社に仕える人の総称(そうしょう)であり、最高(さいこう)責任者(せきにんしゃ)のことは「宮司(ぐうじ)」と言(い)います。

神主や巫女は、神前(しんぜん)結婚式(けっこんしき)やお祓(はら)い、初詣(はつもうで)七五三(しちごさん)などの神道(しんとう)行事(ぎょうじ)に携(たずさ)わります。

お寺(てら)とは

基本情報

お寺とは、仏教(ぶっきょう)のための宗教(しゅうきょう)施設(しせつ)です。僧(そう)や尼(あま)となって悟(さと)りを開(ひら)くための修行(しゅぎょう)をしたり、お葬式(そうしき)を行(おこな)ったりします。

仕えている人

お寺に仕えているのは、主(おも)にお坊(ぼう)さん、つまり修行僧(しゅぎょうそう)です。

お坊さんは、お葬式を執(と)り行(おこな)ったり、仏様(ほとけさま)の教(おし)えを広(ひろ)めたり、お寺(てら)や墓場(はかば)の運営(うんえい)・清掃(せいそう)をしたりします。

お寺にはお墓(はか)がある

お寺の敷地内(しきちない)には、お墓がある場合(ばあい)があります。しかし、神社は宗教施設ではないのでお墓がありません。これが、神社とお寺の大(おお)きな違いの一(ひと)つです。

ですから、人々(ひとびと)は春分(しゅんぶん)の日(ひ)や秋分(しゅうぶん)の日お盆(ぼん)、故人(こじん)の命日(めいにち)などにお寺の境内(けいだい)にあるお墓を訪(たず)ねます。

お寺には仏像(ぶつぞう)がある

そして、お寺の施設内(しせつない)もしくは外(そと)には崇拝(すうはい)の対象(たいしょう)として必(かなら)ず仏像(ぶつぞう)があります。また、仏教の神様の像が置(お)いてあるお寺もあります。

こちらは奈良(なら)の興福寺(こうふくじ)にある「阿修羅像(あしゅらぞう)」のイラストです。阿修羅とはインドの神様が仏教の神様になったもので、一時期(いちじき)大(だい)ブームになってフィギュアが大人気(だいにんき)となりました。

神道と仏教の歴史

神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)

 

仏教が日本に伝(つた)わったのは、飛鳥(あすか)時代(じだい)【592~710】のことです。

当初(とうしょ)、権力者(けんりょくしゃ)たちは仏教を受け入れるか否(いな)かで対立(たいりつ)していました。これを「崇仏(そうぶつ)論争(ろんそう)」と言います。

内乱(ないらん)の結果(けっか)、崇仏派(そうぶつは)が勝利(しょうり)し、仏教は日本に受(う)け入(い)れられるようになりました。そして、神社の境内にお寺や仏像が置(お)かれるようになったのです。これを、「神仏習合」と言います。

607年(ろっぴゃく/しち/ねん)に建造(けんぞう)された奈良(なら)の法隆寺(ほうりゅうじ)は、日本最古(さいこ)の建築物(けんちくぶつ)として現存(げんぞん)しています。

仏教は飛鳥時代から奈良時代【710~794】にかけて広(ひろ)まり、751年(ななひゃく/ごじゅう/いちねん)には東大寺(とうだいじ)が建設(けんせつ)され、人々(ひとびと)を疫病(えきびょう)や飢餓(きが)から救(すく)おうとして大仏(だいぶつ)まで造(つく)られました。

神仏分離(ぶんり)

江戸(えど)時代【1603~1868】、本居(もとおり)宣長(のりなが)という人物(じんぶつ)が「国学(こくがく)」を大成(たいせい)させました。国学とは、日本古来(こらい)の思想(しそう)や文化(ぶんか)を研究(けんきゅう)する学問(がくもん)のことです。

日本は中国(ちゅうごく)・インド・ポルトガル・オランダなどの諸外国(しょがいこく)の影響(えいきょう)を多大(ただい)に受(う)けて来(き)た国(くに)であるため、改(あらた)めて「日本とは何(なに)か」を考(かんが)える必要性(ひつようせい)に気(き)づいたのが本居宣長でした。

その国学の中心(ちゅうしん)となったのが、「神道」でした。

国学の誕生(たんじょう)によって、外国(がいこく)からやって来た宗教(しゅうきょう)である仏教は神道とは区別(くべつ)すべきであるという考えが広まりました。これを、「神仏分離」と言います。

神仏判然令(はんぜんれい)・神仏分離令(ぶんりれい)

明治(めいじ)時代【1868~1902】になると、「天皇(てんのう)こそが日本神話の神々の末裔(まつえい)であり現人神(あらひとがみ)である」という思想が定着(ていちゃく)し、日本は神道を国教(こっきょう)とし、仏教に関係(かんけい)するものは神社から排除(はいじょ)せよとの命(めい)が下(くだ)されました。これを、「神仏判然令」と言います。

こうして、神社の境内にあったお寺や仏像は破壊(はかい)され、神社とお寺は完全(かんぜん)に分(わ)かれることになったのです。この社会(しゃかい)現象(げんしょう)のことは、「廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)運動(うんどう)」と呼(よ)ばれています。

しかし、天皇を神として崇(あが)める思想は第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)後(ご)にGHQによって廃止(はいし)されました。そして1946年(せん/きゅうひゃく/よんじゅう/ろくねん)に制定(せいてい)された日本国憲法(にほんこくけんぽう)は宗教の自由(じゆう)を認(みと)め、主権(しゅけん)は天皇ではなく国民(こくみん)にあると定(さだ)めました。

終(お)わりに

いかがでしたか?

神社とお寺は雰囲気(ふんいき)が似(に)ているので区別しにくかったかもしれませんが、これでもう大丈夫(だいじょうぶ)ですね!

これからは、胸(むね)を張(は)って神社とお寺の違い、そして神道と仏教の歴史を誰(だれ)かに教(おし)えてあげてください♪

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