こんにちは、ミカです!
今回(こんかい)から、「日本の歴史(れきし)」をテーマにお話(はな)ししたいと思います。
まずは、旧石器時代(きゅうせっきじだい)【紀元前(きげんぜん)10万年(まんねん)頃(ごろ)〜紀元前1万8000(はっせん)年頃】から。
この時代(じだい)では、まだ日本列島(れっとう)はアジア大陸(たいりく)と繋(つな)がっていました。
つまり、日本人の祖先(そせん)は旧石器時代にアジア大陸から日本列島へやって来(き)たというわけです。
旧石器(きゅうせっき)時代(じだい)
旧石器時代とは、石(いし)や動物(どうぶつ)の骨(ほね)で作(つく)ったナイフや斧(おの)、槍(やり)などでマンモスや鹿(しか)といった動物を狩(か)って生活(せいかつ)していた時代のことです。
家(いえ)はテントのようになっていて、狩りのために移動(いどう)しやすいようにしていました。
縄文(じょうもん)時代
縄文時代【紀元前約1万8000年頃〜紀元前300年頃】とは、縄(なわ)によって模様(もよう)がつけられた土器(どき)を使(つか)うようになった時代のことです。
土器の発明(はつめい)によって、人々(ひとびと)は料理(りょうり)ができるようになりました。
また、温暖化(おんだんか)によって木の実(このみ)の採集(さいしゅう)がしやすくなり、また海面(かいめん)の上昇(じょうしょう)によって魚(さかな)も獲(と)れやすくなったので、人々は一か所(いっかしょ)に定住(ていじゅう)するようになりました。
縄文時代の人々は、このような竪穴式(たてあなしき)住居(じゅうきょ)に暮(く)らしていました。
一か所に何組(なんくみ)かの家族(かぞく)が集(あつ)まって定住することによって、「ムラ」、つまり社会(しゃかい)ができあがります。
また、縄文時代の人々は川(かわ)や湖(みずうみ)でも漁(りょう)を行(おこな)っていたため、貝殻(かいがら)などの捨(す)て場所(ばしょ)であった「貝塚(かいづか)」が日本各地(かくち)で現在(げんざい)でも残(のこ)っています。
そして縄文時代では、豊穣(ほうじょう)を祈(いの)るための道具(どうぐ)や魔除(まよ)けのアクセサリー、祭祀(さいし)のための土器といった、呪術的(じゅじゅつてき)なものが作(つく)られていました。
上(うえ)のイラストの土偶(どぐう)は、諸説(しょせつ)ありますが、自然(しぜん)の恵(めぐ)みを象徴(しょうちょう)した女性(じょせい)の人形(にんぎょう)なのではないかと言(い)われています。
また、このような形(かたち)をしたものを「勾玉(まがたま)」と言います。
翡翠(ひすい)や動物の牙(きば)・骨(ほね)・角(つの)、貝殻などで作られていたそうです。
このように、アクセサリーにして魔除けとして使(つか)われていたそうです。
弥生(やよい)時代
アジア大陸(たいりく)から稲作(いなさく)が伝(つた)わり、ムラごとに米(こめ)の栽培(さいばい)・収穫(しゅうかく)を行(おこな)うようになったのが弥生時代です。
しかし、ムラごとの米の収穫量(りょう)・保存(ほぞん)量に差(さ)ができてしまったため、貧(まず)しいムラが豊(ゆた)かなムラを襲(おそ)うようになりました。これが、日本で初(はじ)めて起(お)こった紛争(ふんそう)です。
そして、強(つよ)い集落(しゅうらく)が弱(よわ)い集落を支配(しはい)するようになり、小(ちい)さな国(くに)が誕生(たんじょう)し、「王(おう)」と呼(よ)ばれる者(もの)も現(あらわ)れました。
弥生時代の後期(こうき)である2世紀(にせいき)後半(こうはん)には、遂(つい)に「倭国(わこく)大乱(たいらん)」という大(おお)きな内乱(ないらん)が勃発(ぼっぱつ)しました。
「倭国」とは、当時(とうじ)の中国(ちゅうごく)の史書(ししょ)に載(の)っていた日本列島(れっとう)の国(くに)のことです。そして、この「倭国大乱」を収(おさ)めたのが、邪馬台国(やまたいこく)の巫女(みこ)・「卑弥呼(ひみこ)」だとされています。
さらに、邪馬台国を中心(ちゅうしん)とした「邪馬台国連合(れんごう)」が結成(けっせい)され、それが後(のち)の「大和(やまと)政権(せいけん)」となり、古墳(こふん)時代の礎(いしずえ)となります。
ただし、現在(げんざい)でも邪馬台国のあった場所(ばしょ)は明(あき)らかになっていません。
終(お)わりに
いかがでしたか?
こうして、日本の国としての基礎(きそ)ができあがったのです。
次回は、「古墳(こふん)時代」からお話(はな)ししたいと思(おも)います!
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