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「七五三」は子供(こども)の行事(ぎょうじ)
こんにちは、ミカです!
今日(きょう)は、11月(じゅういちがつ)15日(じゅうごにち)。つまり、「七五三(しちごさん)の日(ひ)です!
「七五三」とは、3歳(さんさい)・7歳(ななさい)の女(おんな)の子(こ)と5歳(ごさい)の男(おとこ)の子が、着物(きもの)を着(き)て家族(かぞく)と一緒(いっしょ)に神社(じんじゃ)やお寺(てら)へ参拝(さんぱい)する日本の伝統(でんとう)行事(ぎょうじ)です。
何(なん)のためかと言(い)うと、「今(いま)まで私たちの子供(こども)を見守(みまも)ってくださってありがとうございました」という感謝(かんしゃ)を伝(つた)え、「これからも私たちの子供が健(すこ)やかに成長(せいちょう)できますように」と神様(かみさま)や仏様(ほとけさま)にお願(ねが)いするためです。
なので、この時期(じき)は着物を着た子供たちをよく見(み)かけるようになります。
ところで、なぜ女の子は3歳と7歳、男の子は5歳だけなのでしょうか?
また、どうして11月15日にその行事を行(おこな)うのでしょうか?
3歳(さんさい)・5歳(ごさい)・7歳(ななさい)の理由(りゆう)
まず、最初(さいしょ)の疑問(ぎもん)から解説(かいせつ)します。
一(ひと)つ目(め)の理由は、中国(ちゅうごく)から伝(つた)わった「陰陽五行(おんみょうごぎょう)」では、偶数(ぐうすう)より奇数(きすう)の方(ほう)が力(ちから)が強(つよ)いと考(かんが)えられていたからです。
二(ふた)つ目の理由は、3歳になると言葉(ことば)を話(はな)し始(はじ)め、5歳になると知恵(ちえ)がつき、7歳になると乳歯(にゅうし)が生(は)え替(か)わるという成長過程(かてい)の節目(ふしめ)とされているからです。
七五三の始(はじ)まりは、今(いま)から1000年(ねん)以上(いじょう)前(まえ)の平安時代(へいあんじだい)【794~1192】とされています。当時(とうじ)は子供の死亡率(しぼうりつ)がとても高(たか)く、7歳まで育(そだ)てることが困難(こんなん)だったため、その年齢(ねんれい)になるまでは人(ひと)の子ではなく「神(かみ)の子」だと考えられていました。ですから、最後(さいご)の7歳は神の子から人の子になる大(おお)きな成長の節目なのです。
七五三の歴史(れきし)
七五三の起源(きげん)は平安時代ですが、庶民(しょみん)に広(ひろ)まったのは江戸時代(えどじだい)【1603~1868】であり、それが現在(げんざい)の七五三の原型(げんけい)となりました。
では、平安時代ではどんな儀式(ぎしき)が行(おこな)われていたのでしょうか?
3歳「髪置(かみお)きの儀(ぎ)」
平安時代では、衛生的(えいせいてき)な状態(じょうたい)を保(たも)つため、子供が3歳になるまで髪(かみ)は剃(そ)って丸坊主(まるぼうず)にしていました。もちろん、女の子もです!
そして無事に数(かぞ)え年(どし)3歳の春(はる)を迎(むか)えると、長寿(ちょうじゅ)を願(ねが)い、白髪(しらが)に見立(みた)てた白糸(しらいと)や綿(わた)白髪(しらが)を子供の頭(あたま)に乗(の)せて祝(いわ)っていました。
5歳「袴着(はかまぎ)の儀」
袴(はかま)とは、写真(しゃしん)の少年(しょうねん)が着ているような、スカートと似(に)ている着物(きもの)のことです。現在でも、剣道(けんどう)や弓道(きゅうどう)の道着(どうぎ)として使(つか)われています。
この袴を履(は)くことによって、男の子は少年(しょうねん)、女の子は少女(しょうじょ)の仲間(なかま)入(い)りを果(は)たすことになっていましたが、江戸時代【1603~1868】には男の子だけが行(おこな)うようになりました。
7歳「帯解(おびと)きの儀」
鎌倉(かまくら)時代【1192~1333】から室町(むろまち)時代【1336~1573】までは、9(きゅう)歳の男の子と女の子が着物の付(つ)け紐(ひも)を初(はじ)めて帯(おび)に取(と)り替える儀式である「帯解きの儀」を行っていました。
しかし、江戸時代になると男の子だけ「袴着の儀」、女の子だけ「帯解きの儀」を7歳で行うようになりました。
なぜ11月(じゅういちがつ)15日(じゅうごにち)なのか
次(つぎ)に、二つ目の疑問について解説しましょう。日付(ひづけ)の由来(ゆらい)には諸説(しょせつ)ありますが、有力(ゆうりょく)なものをご紹介(しょうかい)します。
満月(まんげつ)の日(ひ)だから
旧暦(きゅうれき)の11月15日は、ほぼ満月の日でした。人々(ひとびと)はこの満月の日に氏神様(うじがみさま)に収穫(しゅうかく)の感謝をしていたため、それと併(あわ)せて七五三も行われたという説(せつ)です。
将軍(しょうぐん)の息子(むすこ)が元気(げんき)になったから
江戸幕府(ばくふ)の3代(だい)将軍・徳川(とくがわ)家光(いえみつ)の息子・徳松(とくまつ)は、とても体(からだ)の弱(よわ)い子供だったそうです。
その徳松の成長のお祈(いの)りを旧暦11月15日に行ったところ、無事に成長することができたため、その日付(ひづけ)に七五三のお祝いをすることが定着(ていちゃく)したという説です。
「鬼(おに)」が出歩(である)かない日だから
旧暦の11月15日は、鬼が世間(せけん)に出歩かない「鬼宿日(きしゅくび)」であり、何(なに)をするにも吉日(きちじつ)とされていたからという説もあります。
なぜ「鬼宿日」なのかと言(い)うと、15日というのは、お釈迦様(しゃかさま)が生(う)まれた日(ひ)の日付(ひづけ)だからです。
千歳飴(ちとせあめ)とは?
最後(さいご)に、七五三の定番(ていばん)・「千歳飴」についてご紹介します。
袋(ふくろ)には大抵(たいてい)鶴(つる)と亀(かめ)が描(えが)かれていますが、「鶴は千年(せんねん)、亀は万年(まんねん)」という言葉(ことば)があるくらい、彼(かれ)らは長生(ながい)きする縁起(えんぎ)の良(よ)い動物(どうぶつ)とされているからです。
よく見(み)ると、松(まつ)の枝(えだ)と梅(うめ)の花(はな)と竹(たけ)の葉(は)、つまり笹(ささ)も描かれていますね。これは「松竹梅(しょうちくばい)」といって、松も竹も梅も、冬(ふゆ)の寒(さむ)さに耐(た)えて立派(りっぱ)に生(は)えることから、縁起の良い植物(しょくぶつ)と考えられています。
そして千歳飴とは、赤(あか)と白(しろ)の細長(ほそなが)い飴(あめ)のことです。
なぜ赤と白なのかと言うと、その2色(にしょく)は日本では縁起の良い色(いろ)とされているからです。
細長いのは、「長(なが)く細(ほそ)く生(い)きられますように」という願(ねが)いが込(こ)められているからです。「細く」には、「地道(じみち)に、少(すこ)しずつ」という意味(いみ)があります。
また、飴は固(かた)まる前(まえ)は粘(ねば)り気(け)のあるお菓子(かし)ですから、「粘り強(づよ)く生きられますように」という願いもあります。
千歳飴は、江戸時代に浅草寺(せんそうじ)で売(う)られ始(はじ)めたことが起源(きげん)とされています。
終(お)わりに
いかがでしたか?
雛祭(ひなまつ)りや子(こ)どもの日(ひ)だけではなく、11月にも子供(こども)の成長(せいちょう)を感謝(かんしゃ)し、願(ねが)う伝統(でんとう)行事(ぎょうじ)があるのですよ!
もしあなたのお子様(こさま)が日本で3歳・5歳・7歳を迎(むか)えることがあったら、ぜひお参(まい)りに行(い)ってみてください!
参拝先(さんぱいさき)は氏神様(うじがみさま)でも、近所(きんじょ)のお寺(てら)でも、家(いえ)から遠(とお)い有名(ゆうめい)な神社(じんじゃ)またはお寺でも大丈夫(だいじょうぶ)です。
また、15日に行(い)かなければならないというルールもありませんので、家族(かぞく)で日程(にってい)を調整(ちょうせい)し、15日前後(ぜんご)に行く方々(かたがた)も多(おお)いと思(おも)います。
さらに、兄弟(きょうだい)・姉妹(しまい)と併(あわ)せて済(す)ませる家族もいるので、4(よん)歳・6(ろく)歳・8(はっ)歳でも問題(もんだい)ないのかもしれません。
この時期(じき)、町(まち)で晴(は)れ姿(すがた)の子(こ)どもを見(み)かけたら、心(こころ)の中(なか)で「おめでとう」と言(い)ってあげてくださいね!
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