「言(い)わない」コミュニケーション① ~間接的(かんせつてき)に伝(つた)える日本人~

日本人のコミュニケーション:Japanese communication

English article is here; https://japaneselanguagesalonbymikapanda.com/the-communication-not-to-say-anything-1-in-english-487

はじめに

こんにちは、ミカです!

突然(とつぜん)ですが、日本人とコミュニケーションを取(と)っていて、困(こま)ったことはありませんか?

例(たと)えば、YesなのかNoなのかよくわからなかったり、頼(たの)み事(ごと)を引(ひ)き受(う)けてもらえたのに放棄(ほうき)されたり、はっきりと気持(きも)ちや理由(りゆう)を言(い)ってもらえなかったり…。

そんなことがあったら、「日本人は一体(いったい)何(なに)を考(かんが)えているんだ!? わけがわからない!!」と、怒(おこ)りたくなってしまいますよね。

ですが、実(じつ)はその曖昧(あいまい)さこそが、日本人のコミュニケーション作法(さほう)なのです!

そのことを知(し)っておくと、日本人と関(かか)わる時(とき)のトラブルをできるだけ回避(かいひ)することができます。

ですので今回(こんかい)は、日本人のコミュニケーションに対(たい)する考(かんが)え方(かた)について紹介(しょうかい)したいと思(おも)います!

日本人は噓(うそ)つき!?

皆(みな)さんは、「世紀(せいき)の誤訳(ごやく)」と言(い)われた出来事(できごと)を知(し)っていますか?

それは、1969(せんきゅうひゃくろくじゅうく)年(ねん)に開催(かいさい)された、佐藤(さとう)・ニクソン会談(かいだん)でのことです。

対米(たいべい)繊維(せんい)輸出(ゆしゅつ)の自主規制(じしゅきせい)を要求(ようきゅう)された佐藤首相(しゅしょう)は、ニクソン大統領(だいとうりょう)に対して「善処(ぜんしょ)します」と答(こた)えました。

そして通訳者(つうやくしゃ)は、それを “I will do my best.” と訳(やく)してしまったのです!! これが、全(すべ)てのトラブルの始(はじ)まりでした。

なぜかというと、「善処します」とは「はい、わかりました」ではなく、「いいえ、嫌(いや)です。私はあなたの要求を受(う)け入(い)れたくありません」という意味(いみ)だからです!

確(たし)かに、「善処します」を直訳(ちょくやく)すれば “I will do my best.” になります。しかし、それは「建前(たてまえ)」であって、決(けっ)して「本音(ほんね)」ではないのです。

それなら丁重(ていちょう)に断(ことわ)ればいいのに、なぜ直接(ちょくせつ)そう言(い)わなかったのか? と、疑問(ぎもん)に思(おも)いますよね。

この場合(ばあい)、日本や佐藤首相の立場(たちば)も直接言わなかった要因(よういん)として考(かんが)えられますが、やはり「直接的な言い方(かた)を好(この)まない」日本人特有(とくゆう)の性格(せいかく)を無視(むし)することはできません。

どうして直接(ちょくせつ)伝(つた)えないの?

直接的なコミュニケーションをしない理由(りゆう)は、主(おも)に二(ふた)つ挙(あ)げられます。

一(ひと)つ目(め)は、集団(しゅうだん)行動(こうどう)を重(おも)んじる農耕(のうこう)民族(みんぞく)だから。二つ目は、古(ふる)くから「言霊(ことだま)」を信仰(しんこう)しているからです。

協調(きょうちょう)が最(もっと)も大切(たいせつ)な日本人社会(しゃかい)

狩猟(しゅりょう)は一人(ひとり)でもできる場合がありますが、農作業(のうさぎょう)を単独(たんどく)で行(おこな)うことはできません。

ですから、日本人は自然(しぜん)と集団行動を重んじるようになったのです。

西暦(せいれき)604(ろっぴゃくよ)年に制定(せいてい)された日本最古(さいこ)の憲法(けんぽう)にも、「和(わ)を以(もっ)て貴(とうと)しとなす」という言葉(ことば)があります。

それは、「何(なに)かをする時は、いつでも争(あらそ)わず仲良(なかよ)くするのがいい」という意味です。

そのような価値観(かちかん)が農耕から生(う)まれたことによって、他(ほか)の人(ひと)をなるべく傷(きず)つけないように、不快(ふかい)にさせないようにするためのコミュニケーションが必要(ひつよう)になりました。

言葉(ことば)にも「魂(たましい)」が宿(やど)っている!?

「カボチャよ、馬車(ばしゃ)になりなさい!」

『シンデレラ』に登場(とうじょう)する魔法(まほう)使(つか)いが、呪文(じゅもん)を唱(とな)えてカボチャを馬車にする有名(ゆうめい)なシーンがありますね。

それは極端(きょくたん)な例(れい)ですが、日本人は古来(こらい)から、言葉には魂があり、魔法使いの呪文のようにその内容(ないよう)を現実(げんじつ)のものにしてしまう霊力(れいりょく)があると信(しん)じてきました。

そんなまさか、と思ったかもしれませんが、少(すこ)し想像(そうぞう)してみてください。

ポジティブな言葉を言うと気分(きぶん)が良(よ)くなりますが、

ネガティブな言葉を言うと、気分が悪(わる)くなりませんか?

「言霊」は、人(ひと)の心(こころ)だけではなく、お米(こめ)にも影響(えいきょう)を与(あた)えられることが実験(じっけん)によって証明(しょうめい)されているのです!

ですから日本人は、直接的な言葉が持(も)つ力(ちから)によって誰(だれ)かを傷つけたり不愉快(ふゆかい)にさせたりしないように、気(き)をつけるようになったのです。

具体的(ぐたいてき)な例として、「忌(い)み言葉」というものがあります。

「忌み言葉」とは、特定(とくてい)の場面(ばめん)において避(さ)けるべき不吉(ふきつ)な表現(ひょうげん)のこと。

例(たと)えば、結婚式(けっこんしき)では「ケーキを切(き)る」ではなく、「ケーキ入刀(にゅうとう)」と言います。なぜなら、「切る」は「離婚(りこん)」を連想(れんそう)させる良くない言葉だからです。

また、トイレのことを「お手(て)洗(あら)い」もしくは「化粧室(けしょうしつ)」と言うのも、婉曲(えんきょく)表現の一つです。

そのような背景(はいけい)によって、私たちは相手(あいて)を傷つけかねない言い方や縁起(えんぎ)の悪(わる)い言葉、不潔(ふけつ)な表現をできるだけ使(つか)わないようにすることが望(のぞ)ましいと考えるようになったのです。

「空気(くうき)を読(よ)む」日本人

皆さんは、「空気を読む」という言葉を聞(き)いたことがありますか?

もちろん、空気を読むことなんて不可能(ふかのう)ですから、これも日本人によって作(つく)られた婉曲表現です。

それは、「行間(ぎょうかん)を読む」「状況(じょうきょう)や相手の気持ちを判断(はんだん)する」ということを表(あらわ)しています。

つまり、「書(か)かれていないこと」や「言(い)われていないこと」を自分(じぶん)で察知(さっち)するということです。

先述(せんじゅつ)の通(とお)り、日本人には直接自分の気持ちを言わない国民性(こくみんせい)があるので、必然(ひつぜん)と「言葉がなくても、間接的な表現でも相手の気持ちや考えていることがわかる能力(のうりょく)」が身(み)についてしまったのです!

だから、最初(さいしょ)にお話(はな)しした「善処します」という言葉も、日本人同士(どうし)なら本当(ほんとう)の意味で通(つう)じてしまうのですね。

「俳句(はいく)」とハイコンテクスト文化(ぶんか)

「俳句」は世界一(せかいいち)短(みじか)い詩(し)

「古池(ふるいけ)や 蛙(かわず)飛(と)び込(こ)む 水(みず)の音(おと)」

これは、松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)という非常(ひじょう)に有名な江戸時代(えどじだい)の俳人(はいじん)の代表作(だいひょうさく)です。

「俳句」とは、たった17(じゅうしち)文字(もじ)で形成(けいせい)される、世界(せかい)で最(もっと)も短い詩です。

僅(わず)か17文字で、四季(しき)折々(おりおり)の美(うつく)しい情景(じょうけい)や人の心情(しんじょう)を描(えが)いています。

しかし、テーマに対して直接「美しい」や「綺麗(きれい)」とは決して述(の)べません。心情についても同様(どうよう)で、直接「嬉(うれ)しい」「悲(かな)しい」と表現するのは野暮(やぼ)というものです。

作者(さくしゃ)は言葉を厳選(げんせん)し、必要最低限(さいていげん)の表現で読者(どくしゃ)に伝えようとします。そして読者は、限(かぎ)られた言葉から、作者の描いた情景や心情を想像するのです。

例えば、先程(さきほど)の松尾芭蕉の俳句は、どのように鑑賞(かんしょう)することができるでしょうか?

松尾芭蕉は、単(たん)に「古い池に蛙(かえる)が飛び込む音がした」ということだけを伝えたかったわけではありません。

「蛙が飛び込む音が聞(き)こえるぐらい、とても静(しず)かだったんだよ」ということを読者にわかってほしかったのだと解釈(かいしゃく)されています。

「とても静かだったのだ」ということは、もちろん書かれていません。しかし、その書かれていない「本質(ほんしつ)」を読み取ることこそが、俳句の醍醐味(だいごみ)なのです。

世界一ハイコンテクストな日本人

「ハイコンテクスト(High-context)」とは、言語(げんご)による情報(じょうほう)だけではなく、文脈(ぶんみゃく)や相手の表情(ひょうじょう)・仕草(しぐさ)・話し方などから隠(かく)された「本心」を察知する文化的特徴(とくちょう)のことです。

アジア諸国(しょこく)やアフリカ諸国がそれに該当(がいとう)しますが、日本人は世界一のハイコンテクスト文化を持っていると言われています。

一方(いっぽう)で、言語による情報が全(すべ)てであり、それによって判断する文化的特徴のことは「ローコンテクスト(Low-context)」と言います。移民(いみん)の国(くに)であるアメリカやオーストラリア、イギリスやフランスなどの西洋(せいよう)の国々(くにぐに)がそれに該当します。

前者(ぜんしゃ)は間接的で曖昧なコミュニケーションを好み、後者(こうしゃ)は直接的で明確(めいかく)なコミュニケーションを好む傾向(けいこう)にあります。

もちろん、どちらが良くてどちらが悪いということはありません。但(ただ)し、コミュニケーションを取る時はお互いに注意(ちゅうい)した方が良いですね。

写真(しゃしん)のカップルのようにならないよう、私も気をつけます!

終(お)わりに

いかがでしたか?

この記事(きじ)を読(よ)んで、日本人とのコミュニケーションが億劫(おっくう)になっていませんでしょうか?

私にも、曖昧な表現が厄介(やっかい)だと思うことはあります。しかしそれは、日本人なりの「思(おも)いやり」である場合もあるのです。

ですから、日本人があなたから何(なに)かに誘(さそ)われた時、「ちょっと……」と言(い)い出(だ)したら、それ以上(いじょう)は何(なに)も聞(き)かないであげてくださいね。

また、「また今度(こんど)」「行(い)けたら行(い)く」という返事(へんじ)にも、期待(きたい)しない方がいいでしょう。

そして、「難(むずか)しい」は「不可能(ふかのう)」、「苦手(にがて)」「好きじゃない」は「嫌(きら)い」という意味なので、覚(おぼ)えておくことをおすすめします。

日本人の言っていることが今(いま)一つわからない時は、素直(すなお)に「ごめんなさい。よくわからないので、直接言ってもらえませんか?」とお願(ねが)いしてください。

あなたが日本人とのコミュニケーションをストレスなく楽(たの)しめるよう祈(いの)っています!

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