日本人とキリスト教(きょう) ~16世紀(せいき)から現代(げんだい)まで~

日本の歴史(れきし): Japanese history

こんにちは、ミカです!

11月(じゅういちがつ)がスタートしましたが、お元気(げんき)でいらっしゃいますか?

さて、ハロウィンが終(お)わると、日本のデパートや街(まち)は一斉(いっせい)にクリスマスの装飾(そうしょく)を始(はじ)めます。

ケーキ屋(や)さんやスーパー、コンビニなどはクリスマスケーキの予約(よやく)受付(うけつけ)を開始(かいし)します。

しかし、残念(ざんねん)ながらほとんどの日本人がクリスマスの本当(ほんとう)の意味(いみ)を知(し)りません…日本におけるクリスマスの主役(しゅやく)はサンタクロースです。どうか許(ゆる)してあげてくださいね。

ところで、キリスト教(きょう)はいつ日本へ伝来(でんらい)したのでしょうか?

そして、どのような歴史を辿(たど)ってきたのでしょうか?

今回(こんかい)は、このような内容(ないよう)でお話(はな)ししたいと思(おも)います!

キリスト教の伝来(でんらい)

キリスト教を日本へ伝(つた)えたのは、1549(せん/ごひゃく/よんじゅう/く)年(ねん)に鹿児島(かごしま)へやって来(き)たイエズス会(かい)の宣教師(せんきょうし)・フランシスコ=ザビエルです。

彼(かれ)とイエズス会の宣教師たちは、アジアにカトリックの信者(しんじゃ)を増(ふ)やすために長(なが)い船旅(ふなたび)を経(へ)て日本を訪(おとず)れました。

というのも、この頃(ころ)ヨーロッパは宗教戦争(しゅうきょうせんそう)の真っ只中(まっただなか)で、カトリックはプロテスタントに対(たい)して劣勢(れっせい)だったからです。

宣教師たちは、キリスト教だけではなく、鉄砲(てっぽう)の製法(せいほう)も九州(きゅうしゅう)の戦国大名(せんごくだいみょう)に伝えました。

当時(とうじ)、日本は戦国時代(せんごくじだい)で、各地(かくち)の権力者(けんりょくしゃ)が全国(ぜんこく)統一(とういつ)を巡(めぐ)って戦(いくさ)を繰(く)り返(かえ)していました。

そして、キリスト教が伝来した頃、全国統一の有力者(ゆうりょくしゃ)だった織田信長(おだのぶなが)は、仏教徒(ぶっきょうと)と対立(たいりつ)していたためキリスト教を受(う)け入(い)れました。

キリスト教だけではなく、彼は西洋(せいよう)の文化(ぶんか)も積極的(せっきょくてき)に取(と)り入れました。そして、鉄砲技術(ぎじゅつ)を独自(どくじ)に開発(かいはつ)し、初(はじ)めて戦で火縄銃(ひなわじゅう)を使用(しよう)したのも彼です。

キリスト教徒(きょうと)の弾圧(だんあつ)

織田信長が殺(ころ)されてしまった後(あと)、彼の部下(ぶか)の一人(ひとり)だった豊臣秀吉(とよとみひでよし)が全国を統一しました。

彼は大阪城(おおさかじょう)を築(きず)き、そこを拠点(きょてん)として日本全国を支配下(しはいか)においていました。

当初(とうしょ)、彼は南蛮貿易(なんばんぼうえき)ーースペインやポルトガルとの貿易ーーの利益(りえき)を重視(じゅうし)していたため、キリスト教を容認(ようにん)していました。

しかし、キリスト教徒たちによる反乱(はんらん)を恐(おそ)れ、1587(せん/ごひゃく/はちじゅう/しち)年にバテレン追放令(ついほうれい)を出(だ)し、キリスト教徒たちを一掃(いっそう)しようとしました。

そして1603(せん/ろっぴゃく/さん)年、戦国時代は幕(まく)を下(お)ろし、江戸時代(えどじだい)が始(はじ)まりました。江戸幕府(ばくふ)を開(ひら)いたのは、徳川家康(とくがわいえやす)という人物(じんぶつ)です。

彼は初(はじ)め、キリスト教の布教(ふきょう)を認(みと)めていましたが、1610(せん/ろっぴゃく/じゅう)年以降(いこう)は禁教令(きんきょうれい)を出(だ)し、スペイン船(せん)の来航(らいこう)も禁止(きんし)しました。

それに反発(はんぱつ)したキリスト教徒たちを率(ひき)いて「島原(しまばら)・天草(あまくさ)一揆(いっき)」を起(お)こしたのが、天草四郎(しろう)です。

しかし、彼らは幕府軍(ぐん)に敗(やぶ)れてしまい、その後(ご)、ポルトガル船の来航も禁(きん)じられました。

こうして、日本はオランダ及(およ)び中国(ちゅうごく)以外(いがい)と外交(がいこう)をしない「鎖国(さこく)政策(せいさく)」を開始させたのです。

そして、その後も江戸幕府は「踏(ふ)み絵(え)」によってキリスト教徒を洗(あら)い出し、処刑(しょけい)しました。

そのような厳(きび)しい状況下(じょうきょうか)でも、九州では仏教徒(ぶっきょうと)を装(よそお)ってキリスト教の信仰(しんこう)を続(つづ)けていた人々(ひとびと)がいました。彼らは、「隠(かく)れキリシタン」もしくは「潜伏(せんぷく)キリシタン」と呼(よ)ばれています。

彼らが長崎(ながさき)や天草地方(ちほう)で密(ひそ)かに信仰を守(まも)り続(つづ)けた証(あかし)として、大浦(おおうら)天主堂(てんしゅどう)などの教会(きょうかい)は2018(にせん/じゅう/はち)年に世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録(とうろく)されました。

キリスト教の解禁(かいきん)

1853(せん/はっぴゃく/ごじゅう/さん)年、アメリカからマシュー・ペリーがやって来て、日本に開国(かいこく)を要求(ようきゅう)しました。日本はアメリカと日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を締結(ていけつ)し、鎖国の時代を終わらせ、横浜(よこはま)などを開港(かいこう)させました。

1868(せん/はっぴゃく/ろくじゅう/はち)年から新政府(しんせいふ)によって明治(めいじ)時代が始まりましたが、その後もしばらく禁教令は解(と)かれないままでした。

しかし、日本と外交を始めた西洋の国々(くにぐに)から批判(ひはん)を受けたことにより、1873(せん/はっぴゃく/ななじゅう/さん)年に禁教令を解き、宣教師たちによる布教が再開(さいかい)されました。

この頃から、クリスマスや教会における神父(しんぷ)の前(まえ)での結婚式(けっこんしき)が一般市民(いっぱんしみん)へ浸透(しんとう)し始め、現在(げんざい)に至(いた)っています。

終(お)わりに

いかがでしたか?

弾圧(だんあつ)や処刑(しょけい)という悲(かな)しい歴史もありましたが、現在日本には100万人(ひゃくまんにん)ほどのキリスト教徒がいます。

また、キリスト教徒ではなくてもほとんどの人がクリスマスを楽(たの)しみ、新婦(しんぷ)は真っ白(まっしろ)なウエディングドレスに身(み)を包(つつ)んで教会で永遠(えいえん)の愛(あい)を誓(ちか)っています。

初めは衝突(しょうとつ)するものの、最終的(さいしゅうてき)に宗教(しゅうきょう)というよりも1(ひと)つの「外国(がいこく)の文化(ぶんか)」として受け入れられるのは、古来(こらい)より続(つづ)く日本人の得意技(とくいわざ)です。

それも1つの日本の良(よ)さとして、ご理解(りかい)頂(いただ)けますと幸(さいわ)いです。

それでは、今年(ことし)も素敵(すてき)なクリスマスをお過(す)ごしくださいね♪

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